宮川香山について 〜世界に愛された横浜眞葛焼〜

初代 宮川 香山(1842年〜1916年)

初代 宮川香山

1842年(天保13年)京都真葛ヶ原の出身。父は九代茶碗屋長兵衛(楽 長造)、代々やきものを生業とする家庭に生まれた。

1870年(明治3年)香山29歳のとき、薩摩藩小松帯刀により苗代川焼の改良のため、薩摩に招聘されるも小松の死去により実現せず。

同年香山、薩摩藩御用達 梅田半之助の勧めにより、輸出向けの陶磁器を製造するため、横浜へ。

翌1871年(明治4年)香山、横浜太田村字富士山下(南区庚台6番地)に眞葛窯を開窯。

1876年(明治9年)フィラデルフィア万国博覧会に出品された眞葛焼は、世界で絶賛され眞葛焼と宮川香山の名を知らしめた。それ以降、30年以上に渡り数々の賞を受賞。

1916年(大正5年)死去。享年75。

その後宮川香山の眞葛焼は、二代、三代と引き継がれた。

しかし1945年(昭和20年)横浜大空襲により壊滅的な被害を受け、窯は閉鎖。四代目香山による復興もむなしく、その歴史の幕は閉じられた。

「幻のやきもの」といわれる所以である。

横浜諸会社諸商店之図 陶器製造所眞葛香山 (神奈川県立歴史博物館 蔵)
横浜諸会社諸商店之図
陶器製造所眞葛香山
(神奈川県立歴史博物館 蔵)